ビジター用:近況・ニュース

全麺協主催の素人そば打ち四段位認定会・体験記

2016-02-26
  庵主は2015年10月17日(土)に四段位を受験し、最低点の83.4点で合格しましたが、その過程をお知らせすることで多少は参考になるかと思い、記録を整理してまとめてみました。
 
  まず普段のそば打ちの頻度ですが、実費納品が1ヵ所(クリニック)で毎週1回1.5kg程度を、ボランティア納品で蕎麦屋さんに毎週土曜日に1.5×2回=3kgを打っていました(現在はこれは休止)。いずれも自宅のそば打ち作業場で打っています。その他に自分で練習などを兼ねて1回1.5kgを打って親戚や近所の方に提供しています。平均すると週に1.5キロを2.5回ほど打っていたことになります(現在は1.2回ほど)。

  受験前の1ヶ月で見てみますと、38回打っていますので、毎日1度は打っていた勘定になります。試験粉4kgが到着したのは試験のほぼ半月前でしたので、それからの試験粉打ちを数えてみましたら、19回ということでした。1回当りのグラム数は計算では210gになりますが、決してそのような打ち方をしたということではなく、たとえば500gを打って、それをまた崩して打ち直しをして、さらにそれを冷凍しておいて、(粉1.5kgで打った場合に玉は約2.2kg程度になりますから、)冷凍屑が約2kg溜まったところで、これを打つとほぼ同じ2.2kg程度の玉になるので、これを更に1~2回打つということをしましたので、無駄のない練習をしたのです。要は水の量と打ち方を決めればいい訳で、試験粉をまともに1.5キロで練習するということはしませんでした。もしまともに全ての練習を1.5キロで行ったとすると、試験粉と打粉の比率は14:1ですから1回の練習で1.4キロを消費しますので、26.6キロの粉を買っておかなければならないことになります。

  受験時に受験者に聞いたところ、多くの人が20キロ以上を注文していました。最高は60キロという人もいました。そしてこれらの粉の多くは無駄に捨てられていたようです。土に埋めたがなかなか腐らなかったという人もいましたし、枯れ葉に混ぜて堆肥にしようと思ったが腐らなかった、という話しも聞きました。庵主はできるだけ無駄を出したくなかったので、最低限の4キロの試験粉を注文したのです。通常のやり方で練習したら3回弱しか練習できない量です。このような少ない量で合格するという自信のある方はごく少ないと思われますが、私の場合は自信があったからではなく、無駄を出したくないという思いがあったからです。事実、以上に述べた練習で打った蕎麦は食べるか、親戚の家で飼っている鶏の餌にしました。捨てたという記憶はほとんどありません。打ってから数日が経てば捨てますが、翌日までには食べるか鳥餌用にすることは可能です。なぜならば、打つ量が少ないからです。

  試験粉打ちの各回における試験粉の使用量を以下に示します。
①不明・②不明・③不明・④420g・⑤屑・⑥700g・⑦屑・⑧屑・⑨屑・⑩400g・⑪屑・⑫467g・⑬屑・⑭屑・⑮屑・⑯467g・⑰467g・⑱屑・⑲647g
  以上の記録を見ると、全く1回も全量1500gで打ったことがないことがわかります。私としても注文量が少なすぎたかなという思いはありますが、それでも受かったのですからこれで良かったのだと思っています。
 
  練習時に感じたのは、二八で打つ分には打てるという自信がありました。ただ鮫肌・端割れが出来たりしましたし、出来た蕎麦は茹でると短かったのは事実です。そこで丁度タイミングよく取得したエンボス麺棒を使って修正を試みました。この効果は絶大で、これを使えば試験粉は打てると自信を持ったのですが、それでもそばそのものが14:1の比率ではまとまりませんでした。前日の最後の練習打ちでは水を51%にしましたが、52%(780g水)が良かったかと思いました。何とか形にはなったのである程度の自信が出てきました。粉量は少ないのですが、時間も28分にまで縮まり、何とかなるかもしれないと思い始めました。ですが果たして段級審査でエンボス麺棒を使っていいものだろうかという疑問がありました。規定には特に制限はないということは確認しておきましたが、これまでに使ったという事例を知りませんでしたので、ある意味では開き直って使うことにしました。これが原因で落ちても、どうせ落ちるのだから構わないと思ったのです。
 
  ところが、いざ試験会場で既に終わった人の水量を聞くと、ほとんどの人が水を820~840gも使っているのです。これには衝撃を受け、用心の為に水は820g(54.7%)を用意することにしました。試験が始まり、計量器と秤で820gの水を取りました。水回しでは3回ほどで調整を止めましたが、水がまだ20gほど残っているにも拘わらず、そばは水浸しという感じでした。これ以上は入れられないと感じ、水量約800g(53.3%)でまとめました。最初は丁度良い玉の固さだと思っていたのですが、延しているうちに鮫肌ができました。そこで用意しておいたエンボス麺棒を使ってこれを修正しました。幸い修正はうまくいき、最後まで何とか切り通せました。ですが、最後の切りの部分は切れやすく、まともに取り上げると屑になってしまうと思ったので、これを左手の親指と人差し指で真ん中を持ち上げ、打粉振いをせずにそのまま生船に置きました。この時点で不合格を覚悟しました。つまりそれまでの切り揃えは良かったものの、最後の部分が余りにも乱れていたからです。
 
  発表では前の組の10人中2人しか合格者がいなかったので、落ちることを覚悟していたので当然自分は落ちると思っていました。ですが意外にも自分の組の最初の3人が合格でした。諦めていたのでこの時点でも合格の期待は持ちませんでしたし、ドキドキもしませんでした。そして自分の番号が呼ばれた時には、茫然としました! 嬉しいと言う感情は微塵もなく、ただひたすら「何故?」という疑問で頭が一杯でした。そして大変なことになってしまった、という思いが頭の中を駆け巡りました。なぜなら、落ちて当然の実力だと思っていましたし、もし合格したら、そばの会の仲間がどう思うだろうか、その後の責任を果たせるだろうか、と逆の悩みが多かったからです。
 
  幸い応援も居ませんでしたので、祝福を受けることも無く、片付を終えてタバコで一服するために外に出て落ち着こうとしましたが、嬉しさよりも憂いの方が多くて虚脱状態でした。家内に一報を入れただけで、他の人に連絡することすら思いつきませんでした。着替えてからまた一服し、外をうろうろしましたがそれでもまだ落ち着きを取り戻すことができません。既に会場にも外にも人の気配が無くなり、一人茫然としていたというのが実情です。

  前日泊まったホテルと二日目に泊まるホテルは違うので、宿泊のホテルの場所を聞きに事務所に行きましたが、もう会場は電気も消されて暗い状態。ホテル・マロードに着いて真っ先に考えたのは近くに蕎麦屋を探すことでした。何とホテルでの懇親会参加という予定を全く忘れてしまっていたのです。蕎麦屋は「吾妻庵総本店」という140年の老舗で、雰囲気はかなりレトロでした。ここでゆっくり食べ終わった頃、予定を考えていて懇親会参加を思い出しました。慌ててホテルに戻り、懇親会場に駆け付けたときは30分を過ぎており、もう皆さん食べ終わって懇談に移っていました。何とここで会の仲間数人と巡り合いました。祝福は受けましたがとても嬉しいと言う気分ではありません。恥ずかしくて逃げ出したいような気持でした。暫く懇談してから合格を電話しなければならないと思いつき、会の会長など数ヵ所に連絡しました。その夜は今後のあれこれを思い巡らして悩みが尽きませんでした。
 
  余計なことまで書きましたが、四段を取るということは精神的に相当なプレッシャーになることを知っていただきたかったのです。特段ボランティア活動をしていなかったことや、活動の場が少なかったことから、四段という段位は私にはかなり重く、負担となるものでした。もし会場が土浦でなく遠い地であったら受けませんでしたし、受験を決めた唯一の理由が、これまでストレートに最短期間で駆け上がってきたということだけでした。四段までストレートで昇段してきたということは確かに私の誇りとなりましたが、それを獲得することで負う重荷も考えていました。そういう意味では余り取りたくない段位であったとも言えるのです。
 
  四段に合格したことは、技術に自信をもたらしませんでしたが、いくつかの点で自慢にできる実績を作り出しました。それを挙げてみたいと思います。まず①試験粉を4kgしか注文しなかったこと、②練習でそばを無駄にしなかったこと、③練りで自称‘ずり練り’を行ったこと、④8枚重ねで時間に間に合ったこと、⑤エンボス麺棒(紫色)と通常の3本の麺棒を並べたこと、⑥包丁を素人が作った「こりん」銘の包丁を使ったこと、⑦刷毛にドイツ・ケルンで行われたクリスマスマーケットで買った山羊毛のものを使ったこと、です。④を除けば庵主独自のやり方で合格したことは、とても自慢に思っております。
 
  特にエンボス麺棒を使ったことは段位認定試験では全国初であったようです。これは唐橋審査委員長や足利の根本忠明「蕎遊庵」庵主、そしてNPO法人そばネット埼玉の阿部成男代表などに確認したところ、おおむね確認が取れました。根本氏からは「勇気がありますね」とのお言葉を戴き、阿部氏は「大胆ですね」と述べられました。いずれも‘称賛’と理解しております。
 
  その後いろいろな経緯から、HP(ホームページ)で貢献するということを思いつきました。活動で貢献することが難しい状況にありますので、これは異色の貢献方法だと気が付いたのです。これからも初心を忘れず、このサイトの充実を図っていきたいと思っております。