BD-B:全麺協について

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BD-B:「全麺協について」

 「全麺協について」では、全麺協という全国的なそばの組織についてまとめてみます。以下にサブテーマを記しますが、順次内容をアップしていきます。(一部は‘工事中’です)

 サブテーマ1:BD-B-1 全麺協ができるまでの経緯
 サブテーマ2:BD-B-2 任意団体から社団法人への変革 (工事中)
 サブテーマ3:BD-B-3 全麺協の特徴 (工事中)
 サブテーマ4:BD-B-4 全麺協の概要と目的
 サブテーマ5:BD-B-5 会員の分類と会費 (工事中)
 
 

B-B-1 ≪全麺協ができるまでの経緯≫

  全麺協は2014年に20周年の節目を迎え、一般社団法人化されました。これまでの道のりを辿ることはそば文化の再興と大いに関係があることから、そば打ちをする人にとっても知っておくべきことだと思われます。

  戦後から話しを始めたいと思いますが、この頃は復員兵が地方に帰省し、ベビーブームが起こって全国各地に子供と若者が溢れかえる状況だったと言います。1950(昭和25)年に朝鮮戦争が起こり、復興に大きな足掛かりができました。この戦争特需が日本に生産設備の拡充をもたらし、特需景気がもたらされたからです。それから6年後の1956(昭和31)年には国民所得が戦前を上回ることになります。不足する労働力を補うために、地方から「金の卵」と呼ばれた若年労働者が都市に集まり、集団就職と呼ばれました。1960(昭和35)年から始まった池田勇人による「国民所得倍増計画」は高度経済成長をもたらし、毎年10%を超える経済成長を達成していきました。1973(昭和48)年にはGNPが世界第2位となり、夢のような状況が生れました。
 
  しかしこれが農山漁村に過疎化と都市労働者との賃金格差をもたらすという負の遺産も残したのです。また工業の発展は著しい環境汚染問題(公害)ももたらしました。農業・林業・漁業はその後継者を失い、明らかに衰退の一途を辿りました。過疎化と少子高齢化はまず地方にその影響をはっきり現わしたのです。1973(昭和48)年を期に、日本経済は「変動相場制」・「オイルショック」・「インフレ」に襲われ、1974(昭和49)年にはインフレ抑制策により高度成長にピリオドが打たれました。そして同時に「地方の時代」が叫ばれ始め、地方分権が政策課題となっていきました。農山漁村の自治体においても「地方再生」や「村興し」が重要な課題となり、北海道池田町では十勝ワインをブランド化することに成功し、岩手県沢内村では乳幼児死亡率1位から死亡率ゼロへの転換に成功し、大分県大山村では「一村一品運動」のモデルを実現化し、町民一人当たりのパスポート保有率が日本一となり、徐々に成果を上げていきました。そのような流れの中で、日本古来から食されてきた「そば」も見直され、これを村興しの一手段として使おうという動きも出てきたのです。
 
  そのような時に、富山県の利賀(とが)村(現在は南砺市)が驚くべきことをやってのけました。この近くには合掌造りの家並で知られる五箇山(ごかやま)がありますが、その一つである利賀村は急峻な山合いにあり、交通の便が極めて悪く、孤立していました。終戦直後には北海道への集団移住を検討されたほどに人口過密に悩まされていました(昭和21年に史上最高の4675人の人口を数えた)が、高度経済成長期を経て激減し、昭和40年には2515人にまで減っていました。当時は除雪がなされていなかったため、11月から翌年の4月半ばまでは陸の孤島になっていたのです。昭和42年には利賀村離村対策協議会を発足させて、挙家離村を含めた離村対策に乗り出しました。昭和46年に始まった村営バスの運行もその一つの手段でしたが、これが大きな影響を与えました。そんな折に昭和47年には東京の武蔵野市との姉妹都市関係が成立し、市民交流団が村にやってくるようになったのです。これは村に残っていた老人達に意識の変革をもたらしたと言います。すなわち、山村生活の知恵や技術が誇れる地域文化なのだという意識が芽生えたのです。このような動きは都会にまで伝わり、訪問した郡司正勝氏(早稲田大学教授)が「早稲田小劇場」(後の「SCOT」)を引き連れて、合掌文化村を拠点としたのです。これらの演劇を中心とした事業が高い成果を上げ、過疎の村が世界的知名度を得たことから、過疎地域の活性化モデルとして有名になったそうです。このことは村にカルチャーショックをもたらしました。このようなことが契機となり、昭和57年の夏に「利賀フェスティバル’82・第1回世界演劇祭in富山」が開催され、6ヵ国から12劇団が参加するという大イベントとなったのです。この時に日本や世界から1万3千人の来場者があったそうです。
 
  ところが夏が去り、冬がやってくると再び利賀村は孤立した寒村に戻ります。そんなとき、冬の親睦行事である「そば会(ごんべ)」がヒントになり、これを一大イベントにしようというアイデアが出てきました。こうして平成17年から「利賀そば祭り」が冬の最中に行われるようになりました。結果は予想をはるかに上回る約3千人の人が訪れ、手打ちそばは早々に品切れとなり、大きな課題を残しました。そのため坂上地区に平成元年に「そばの郷」を建設し、信州大学の氏原暉男教授に指導を仰ぎ、ネパールまでそばの源流を求めて調査団18名を送ったりしました。
 
  このような地道な活動の結果、世界15か国・国内38市町村の参加を得て、1992(平成4)年8月7日に「世界そば博覧会」という大々的なイベントが人口わずか1100人余の寒村によって開催されたのです。しかもその期間は1ヶ月に及び、来場者は「10万人以上は来ないでください」というはったりとも思えるPRの逆効果(?)もあって、13万6530人を数えたと言います。これはまさに奇跡的なことですが、ここに至るまでには長い準備の期間があったことを忘れてはならないと思います。しかし残念なことにこのような大イベントが成功したにも拘らず人口減少という流れを食い止めることはできず、平成22年までに人口は661人まで減りました。

  祭りが終わったあと、虚脱状態の中からこの興奮を何らかの形で残したいという思いが沸き起こりました。利賀村の宮崎村長は都内の明治記念館で開かれた交流会で感謝を述べるとともに、「結い」の精神による地域振興事業の相互支援と、「絆」を継続する組織の創設を提案しました。この提案を基に約一年間に亘って検討が続けられ、麺類食文化による地域間交流を通じた全国市町村・民間団体のネットワークを創ろうということになったようです。その名称も「全国麺類文化地域間交流推進協議会」という長たらしいものになりました。そして再び1993(平成5)年、明治記念館に参集した自治体関係者を中心に、現全麺協(一般社団法人)の母体(任意団体)が発足したのです。このような全国的組織は当時前例がなかったそうで、事務方を背負った中谷信一氏(現理事長)は当惑と不安の中に船出を余儀なくされたと述懐しています。
 (以上は一般社団法人全麺協刊「20年のあゆみ」(2014年5月)より抜粋)
 
 
 

BD-B-4 ≪全麺協の概要と目的≫

  全麺協は平成4年に富山県利賀村で開催された「世界そば博覧会」が大成功を収めたことから、世界にそば文化を発信しよう、各地のそば文化を成長させようという意気込みでその翌年の平成5年に「全国麺類文化地域間交流推進協議会」という名称で発足した団体です。名前からも分かりますように主として自治体が中心になって地域おこしを目的として設立された経緯があり、その後の時代変化とともに、素人そば打ち会を中心とする形に変化していったため、平成26年に一般社団法人化するとともに名称を短縮して「全麺協」としました。
 
  その目的は当初の「地域おこし」からさらに発展して「そば道」の追求へと精神的・文化的にレベルを上げ、個人や団体、そして地域を中心としたそば打ち技術の切磋琢磨や交流を通して日本の伝統的食文化である「手打ち蕎麦」を広め、さらに海外に発信していこうとしています。すでに韓国とのそば交流を通して世界唯一である麺としての蕎麦食を韓国に紹介するとともに、さらに範囲を広げていこうとしているようです。
 
  外から見るといかめしい団体に見えるかもしれませんが、実際は役員の皆さんなどもそば歴20から30年ほどの人が多く、手打ち蕎麦がプロのそば店から素人に広がったのはそれほど昔のことではありません。昔はそれこそ農家ではおばあちゃんが打つそばが当たり前にあったのですが、今はこのような団体がなかったらそば文化は無くなっていたでしょう。現代ではほとんどの人が素人として、またボランティアとしてそば打ち活動をしています。そして全麺協はそれを支える組織として貢献しています。
 
  団体であるかぎり、単に交流だけでなく、段位認定や指導者認定などを通して会員の意欲向上や技術レベルの向上を図っており、特に段位認定会実施やそば打ち講習会などを通してそば文化の発信に貢献しています。ある意味では日本独特な団体であるとも言えますが、段位審査によってそば打ち技術にある程度の共通性・基準性が整えられ、秩序が保たれているとともに、個人では到底なし得ない海外への普及という大きなプロジェクトも可能にしています。
 
  そば打ちに興味がある人にとって、基礎から教えてくれるそば打ち会に参加するだけでも十分に楽しめるかもしれませんが、より高いレベルを目指す人にとっては段位と言う目標があることは有難いことです。日本人はこだわりというものが好きで、何でもとことん追求して最高のものを目指そうとします。そのような日本人気質にとって、そば打ち段位というものが芸道・武道の段位と同様、目標として存在することは素晴らしい文化だと思うのです。
 
  自分自身の向上を図りたい人はぜひとも全麺協の会員になって段位の向上を目標にしていくと良いですね。ノムさんは段位が欲しくてこれに挑戦しているのではありません。そば打ちを通して多くの友達ができ、また社会への貢献ができ、それが自分の存在を有意義なものとしているからこそ、そば打ちを楽しむとともに真剣にのめり込んでいるのです。実際仕事が忙しく、そば打ちに時間をそれほど取れないのですが、そば打ちが日常の中で息抜きになっていることもあり、個人的にそば打ちを楽しんで、多くの人の舌を喜ばしています。同時に全麺協を通して段位も狙おうという欲張った行動をしていますが、そば打ちのホームページを通してそれなりに全麺協にもそばの文化にも貢献しているつもりです。(2017.1.11記)